映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

たいやき屋の薄笑い

 「作品制作と仕事と育児と家事と、全て両立させることは出来ない!!! 器用に出来る人はいるだろうけど、私にはもう無理だ!!! もう全部放棄する もう全部放棄する!!!」と心の中で絶叫しながら撮影をしていたので、心身の状態がすっかりおかしくなってしまいました。そんな状態で、自分のパソコンのメールを開いたら、「死ね」「殺してやる」という内容の脅迫メールが届いていて、ものすごくショックで、差出人を見たら私自身で、二重にものすごいショックを受けたので、その日は撮影など一切行わず、眠りました。ほとんど眠らずに制作していたので、わずかの時間ですが、泥のように眠れました。眠ったら、少し状況が良くなりました。こんなに悠長にしていられるのも、16mmフィルムは8mmフィルムと違って、朝いちで現像に出すとその日中にあがってくるから、なんですね。

 一昨日は、黒い服を着て告別式へ行きました。 やはり、亡くなった方は、私たちと違う次元の存在になってしまったのだと強く感じました。「聖」と「俗」ならば、「聖」の力をものすごく感じました。だから、仏「様」なのか、と思いました。 そして、独特の匂いのする火葬場で、足がすくみました。横1列に竈が4、5台並んでいて、竈の奥から、ゴゴゴーッと肉体を焼く音が聞こえてくると、余りの恐怖で足が震えて、涙が出ました。「最後のお別れです」と言われて、泣きながら遺体の顔を撫でて、棺の蓋が閉じられ、滑車に乗せられ、棺が竈の中に入れられた瞬間、何か大きなものを喪失したような気持ちになりました。 大切なものはもうここにはいない、本当に大切なものは肉体とは別にある。 そう頭で判っていても、大切な人の肉体を焼かれるのは、なぜこんなにも悲しいのでしょうか。 そうして、暫し呆然と立ち尽くしていたのですが、ふと隣の竈を見ると、全て済んだ後だったようで、係の男性が、滑車の上に残った灰をほうきで掃いていました。

 日曜日は、眠を連れて眼科画廊へ行きました。私は、新宿や渋谷など人の多いところがとても苦手で、家を出てから家に帰るまで、ずっと迷子状態でした。私が「どうしよう、迷子になっちゃった」とずっと言っていたので、同伴のねむも、さぞ不安だったろうと思います。帰り道、偶然通りかかった中村屋の本店でサンドイッチとケーキを食べ、花ちゃんにおみやげ(小さいサンタのぬいぐるみが付いたお菓子)を買って帰りました。 やっぱり、私は、池ノ上くらい人の少ない駅が好きです。

 私が幼い頃、池ノ上に小さなたいやき屋さんがあって、たいやきなんて誰も買わないのか(苦笑)、この店で誰かがたいやきを買っているところを私は見たことが無くて、もう大分潰れかかっていたんですが、いよいよ店が潰れるという時、私が自転車で前を通りかかると、たいやき屋のおじいさんが、焼き器の前にぼーっと座って、薄笑いを浮かべていたのです。 そういえば、その斜向かいのケーキ屋のおじさんも、店が潰れる前、薄笑いを浮かべて通りをぼーっと見ていました。私は、このケーキ屋さんの、動物の形のケーキが大好きでした。子供の手の平にのるくらいのサイズのカステラが、色とりどりのチョコでコーティングしてあって、カエルだのウサギだの、色々ありました。バレエの帰りに、母にここでソフトクリームを買ってもらったりもしました。

 あと、一昨日、眠と花ちゃんとクリスマスツリーの飾りつけをしました。ツリーは、志郎康さん家で使用していたものです。去年譲り受けました。 私や眠が1個飾りをつける度に、花ちゃんが1個ずつはずしていくので、「一生飾りつけ終わらないじゃん」と思いました。

 何だかとりとめの無い文章で、ごめんなさいね