映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

透明な私

 やっと新作の絵コンテを書き終えました。これから、鬼のような集中力で、撮影準備・撮影・編集作業とこなしていかなければなりません。

 今の私にとって作品制作は、状況的・精神的・肉体的にとても厳しく苦しい作業ですが、その間だけは「余計なこと」を考えずに済むので、それだけは助かっています。

 自分の表現に真摯に取り組むこと、そして、それを続けること。この2点が、私が表現を続けて行く上で大切なことで、それ以外のことは、大して重要ではないと、近頃特に思います。

 最近、人間関係が本当に辛くて、余りにも苦しくて、おもてを歩いていても足が一歩も前に進まなくなったりします。相手の考えを理解しようとすればするほど、相手の「受け入れ難い部分」が浮き彫りになってきて、あっという間に、心が「容量オーバー」状態になってしまうのです。心が「容量オーバー」になると、体は全く動かなくなります。自分が相手を傷つけたこと、自分が相手に傷つけられたこと、過去のこと、現在のこと、些細なこと、些細ではないこと。それら全部が信じられないくらい巨大な渦を形作って、一気に私を飲み込んでしまうんです。

 自分の存在が、余りにも孤独で無価値なものに思えて、ぼんやり自分の両手を見つめても、透明で、何も見えないのです。

 自分の表現に真摯に取り組むこと、そして、それを続けること。この2点が、私が表現を続けて行く上で大切なことで、それ以外のことは、大して重要ではないと、近頃特に思います。

 今日は、眠の幼稚園で個人面談の日でした。昨日まで、私はとても緊張していましたが、担任の先生がとても優しい方で、眠の幼稚園の様子などを丁寧に教えて下さったので、とても良い経験になりました。帰り際、野々歩さんのことを日頃から気に入っているという年長の女の子が寄ってきて、私とその子は初対面だったのだけど、「ねむちゃんのおかあさんって、こういう顔してたんだ」と一言言われて、思わず笑ってしまいました。この子はきっと野々歩さんのことが好きなんだろうなあ、と思って、私の中にもちょっとしたライバル心?のようなものが一瞬沸き上ってしまったのが、今思うと恥ずかしいです。

 「ねむちゃんのおかあさんの顔」って、どんな顔なのでしょうか。

 私は今、本当に、ここに存在しているのでしょうか。

 今、このキーボードをたたいているのは、本当に、私なのでしょうか。

 このキーボードは、本当に、ここに存在しているのでしょうか。

 この椅子は、本当に、ここに存在しているのでしょうか。

 この床は、本当に、ここに存在しているのでしょうか。

 五感が、瞬く間に、透明になっていく。

 自分の表現に真摯に取り組むこと、そして、それを続けること。この2点が、私が表現を続けて行く上で大切なことで、それ以外のことは、大して重要ではないと、近頃特に思います。

 いいえ、それ以外のことで、重要なことがありました。

 眠と花です。

 私は、眠と花の母親です。

 二人の娘のことが、愛おしくてたまらない。

 生き続けなければならない 透明な私