映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

平面の表と裏

 只今、仕事中…で、ちょっと一休み(笑)。

 昨日は、ある公募展に出品予定の平面作品(↓これ)の仕上げに四苦八苦していました。

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 何に四苦八苦かっていうと、これ、実物は幅1m以上ある作品なので、データが重すぎて、パソコンが何かボタン押す度にギギギーって悲鳴をあげてなかなか動いてくれないの(苦笑)。野々歩さんに助けを借りながら、何とか出来たんだけど。

 この作品は、昨年暮れの個展で展示した平面作品「立方体型の透明便器に腰掛けた私」と「授乳中の戸惑い」に手を加えたもので、上のが表で下のが裏の、1枚の平面作品です。 額装した平面作品の裏側まで使うのは反則技かもしれないけど、「裏側を使ってはいけません」なんて、(応募規定の)どこにも書いてなかったもんね(笑)。だからいいんだもんね!

 

 この作品は、私の「性に対する嫌悪」と「性に対する衝動」と、「(その二つに起因する)授乳の苦しみ」を表現した作品なんだけど、photoshopで自分の片眼(ちなみに、こっちは私にとって「邪悪(?)な眼」なのです)を歪ませた時、何だか悲しくて苦しくて胸がいっぱいになっちゃった。 私っていつもこうなんだよね(苦笑)。 自分の作品に感情移入しすぎるというか。 例えば、ごくたまに「The Miracle」を自分で観る機会があったりすると、もちろん表現者として、「この部分はこうした方が良いな」とか思ったりもするんだけど、それはほんの僅かな一瞬の話で、気持ちの大部分は、黒P子が死んだ時の感情に戻ってしまうの。 いつのまにかタイムスリップして、自分の手の平の中に黒P子の死体が戻って来ているのね。それで、悲しくて悲しくて気が狂いそうになる。 だめだこりゃ(苦笑)。

 

 話を変えるわ!

 最近、会津若松の、母親の首を切った少年のことが話題になってるよね。(前にブログにも書いたけど)丁度次回作で殺人について触れようとしているので、興味のある話題ではあるんだけど、メディアでマリリン・マンソンをやり玉にあげるのは止めて欲しいなあ(笑)。 別にマンソンのファンじゃないし、曲をちゃんと聴いたことが無いのでよくわかんないんだけどさ(←だめじゃん(笑))。 マンソン自体は別に悪い人じゃないと思うよ…っていうのは、以前「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観た時、「わりとまともなことを言う人だなあ」ていう印象を持ったからなんだけど。実際何て言ってたかは忘れちゃったんだけど(←だめじゃん(笑))。 でも、こういう事件が起こる度に、犯人が影響を受けた(らしい)映画とか音楽とかをやり玉にあげる人達には、毎回毎回、本当に辟易する。 映画とか音楽が人の心に影響を与えるのは当たり前なことで、影響を受けた結果、その人がどう考えてどう行動するかは、全く別の問題だと思う。 だから、「マンソン=怖い人」みたいに扱ってどーするんだよオイって思うんだけどなあ…

 あとは、(こう言ったら相当語弊があるだろうけど)殺されたのが母親で良かったなと思う。これが他人の子供だったりしたら、また話が別になってくると思うから。 私が母親でも、自分の子供が他人の子供を殺すより、自分を殺してくれた方がずっといいよ。 そりゃあ、誰も殺さないのが一番だけど。 でも、私が母親だったら、首を切られる痛みと一緒に、自分自身の責任も痛感すると思う。 親であれば、例え自分の子供に自分の首を切られる状況であっても、「この子は自分の子供だ」っていう責任から逃れることは出来ないよ。 そりゃあ、切られて「痛いじゃねえか、このバカたれが!!!」くらい思うかもしれないけど(笑)。  でもそんなことより、これから先、殺人者として生きていかなければならない我が子のことを思ったら、不憫で悲しくて仕方がなかっただろうね。 残された家族も気の毒だけど、母親が我が子に首を切られた痛みも、その子がこれまで感じてきた苦しみも、これから背負う苦しみも、全部分かち合うのが「家族」なんだろうから、「頑張って下さい」としか言い様がない(投げやりですみません)。

 

 私も人を殺すことばかり考えていた時期があったから(超過激発言(笑))、自分の母親の首を切った彼の苦しみや悲しみや怒りや憎しみや不安や絶望感がよくわかる(というか、正しくは「想像出来る」)んだけど、それらの感情で実際に人を殺すほど、私は単純じゃないよ。 私には大切な眠がいるからね。 今日も夕飯の支度をしている時に、「ママー」「見てー」って眠がしきりに呼ぶから側に行ってみたら、夜空に浮かぶ月を嬉しそうに指差してた。 私が「きれいね」って言ったら、眠も「きれーい」って言ってた。 こんなにかわいい眠を傷つけることなんて、絶対に出来ないよ。

 次回作も、「殺人」に関するエピソードと、「(眠が喜ぶような)ふわふわのクマやピョンピョン(=ウサギさん)が登場するようなおはなし」等々のオムニバスにする予定。 真実はそんなに単純ではない、と私は思う。