2017年5月15日〜19日・ポーランド滞在記
以下、Facebookにアップした、私のポーランド滞在記です。Facebookをやっていない友人のために転載しました。
今回の旅では、日本だけでなく、色々な国のアーティストと知り合うことが出来ましたが、一番強烈だったのが、アウシュヴィッツ博物館公式ガイドの中谷剛さんとの出会いでした。ビルケナウから第一収容所へ移動するシャトルバスの中で中谷さんと隣になった時にお話をさせていただいたのですが、中谷さんの次のような言葉がとても印象に残っています。
「毎日毎日人間のネガティヴな部分を、来館者の方々に繰り返し説明していて、無力感に襲われることは多々あります。それでも、僕は人間のポジティヴな部分に対する希望は捨てていないんです。だから、僕はこのポーランドに住む一介の無名の日本人に過ぎないけれど、僕は僕なりに事実を伝え続けていく価値があると思っています」
私にとって、今回のポーランドでの経験は、これまで自分の中でグラグラしていたものがくっきりと固まったような、人生観を大きく揺るがすようなものになりました。今後の人生、一人の表現者として、いかに社会と向き合い、いかに生き、いかに死ぬのか、「覚悟」のようなものが決まったように思います。今までの私の作品が「第1期」だとしたら、現在準備中の新作は「第2期の始まり」と位置付けすることが出来ます。それぞれの作品を一個一個独立させて考えるというよりも、人生という大きな流れの中で、その時々で作られるべくして作りあげた作品たちと、精一杯自分の人生を生き抜くことが出来たらと思います。
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村岡 由梨さんは Warsaw Chopin Airportからヴロツワフに旅行しました。 · ワルシャワ (ポーランド・Masovian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんが写真2件を追加しました — 場所: B&B Hotel Wrocław Centrum · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんが写真2件を追加しました — 場所: Caffe Bohema · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんがアルバム「2017年・ポーランド」に写真7件を追加しました — 場所: Centrum Sztuki WRO / WRO Art Center · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんが写真2件を追加しました — 場所: Auschwitz Memorial / Muzeum Auschwitz · オシフィエンチム (ポーランド・Lesser Poland Voivodeship) ·
村岡 由梨 · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんがアルバム「2017年・ポーランド」に写真2件を追加しました — 場所: Pałac Ballestremów · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんがアルバム「2017年・ポーランド」に写真7件を追加しました。 · ヴロツワフ (ポーランド・Lower Silesian Voivodeship) ·
村岡 由梨さんがアルバム「2017年・ポーランド」に写真を追加しました — 場所: Warsaw Chopin Airport · ワルシャワ (ポーランド・Masovian Voivodeship) ·
WRO Media Art Biennale
5月17日からポーランドで開催されるWRO Media Art Biennaleに参加するため、再来週から1週間程度、ポーランドへ行ってきます!
新作のリサーチも兼ねて、ヴロツワフから列車・バスを乗り継いでオシフィエンチム(アウシュビッツ)にも行く予定。(←かなり無理なスケジュールで行こうとしているので、家族全員に反対されてます。)18日には自作品のofficial screening with artist なるものもあります!ちゃんと英語で話せるかなぁ(泣)。かなり不安(泣)。
「スケジュールがかなり過密・初めてのヨーロッパ・一人旅」と不安要素だらけなのですが、果たして生きて帰って来られるのか?!
全然関係ないけど、というかなくもないけど、さっき書類を書きながら、「作品を制作して発表することは、自分の中の問題意識を社会と共有すること」ということに気が付きました。だからなんなんだ!ほげー
Declare Independence
随分長い間、国際政治に関心を持って来たけれど、自分の政治観や宗教観を作品に反映させたり、何らかの形で公にすることは、何だかとても怖いことに思えて、意識的に避けてきたように思います。
私という人間は、この広い世界の「日本」という小さな島国に住む、一介の、無名の表現者に過ぎません。
今の私が、自分の作品に政治的・宗教的なメッセージを込めたとしても、「世界」に何か影響を与えるわけでもないだろうし、それ以前に「世界」から何かを求められている立場でもない。「一介の」とか「無名の」って、そういうことなのだと思います。捻れた言い方をしてしまえば、名の知れた芸術家が、「社会性のある作品」を世の中に向けて発信するのと訳が違うのです。
そんな私が、新作「Transparent,the world is.〜透明な世界〜」では、自身の政治観・宗教観に大きく踏み込んでいます。
一人の表現者として美しく脱皮するために、今一度、社会における自分の立ち位置、もっと言えば、社会における自分の役割のようなものに向き合おうという気持ちになったのです。
これは、私にとって最初で最後の大きな賭けです。世間一般がイメージする「芸術作品の社会性・公共性」に対する挑戦でもあります。
「芸術家は芸術のことだけ考えていれば良い」
今までもこれからも、これが私の原点ですが、挑戦するのは私の自由。「一介の」「無名の」私が手にしている「自由」という名の特権なのだと思います。
診察室の中と外
K先生による週1回の精神分析的精神療法を約8年間続けています。
外界から遮断された診察室の中で、40分間、先生と1対1で話をするのです。
「セックスの持つアンビバレントな聖性と俗性に、自分の体と心が真っ二つに引き裂かれる セックスの聖性による産物である妊娠・出産を経験しても、未だに自分の中で答えを見つけられないこの診察室のドアを開けたら、世界はグロテスクなセックスに溢れているから、怖くて出られない。でも今この部屋に私といる先生もセックスをして子供をもうけたわけだから先生のことも不気味に感じてしまう悲しい。結局、診察室の中にも外にも、私の居場所は無いんじゃないかと思うと、絶望的な気持ち」
娘たちを産んで、母になって、私の問題は、もっと複雑で切実なものになりました。
セックスへの憎悪で胸が焼き焦げるほど苦しんだ思春期。強烈な性衝動の一方で、自分の性器をむしりとって、メチャクチャに切り刻んでしまいたくなるほどの苦しみから、未だに抜け出せないでいます。
答えが見つからない。
答えが見つからない。
だから、作品を作らざるを得ない。
こんな私が、娘たちに、「愛する人と結ばれることの素晴らしさ」を教えることが出来る日が来るんだろうか。
愛する人と結ばれた結果、生まれた娘たちに。
猥褻かアートか
facebookに自分のwebサイト(http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/index.html)のリンクを貼って投稿したら、削除された…。「裸を表示した」かららしい。こんなの初めて。以前、あるギャラリーで展示をしたくて、ポートフォリオを持って行ったら、「裸の作品があるから」って理由で断られたのを思い出すなあ。「裸以外の作品ならいいです」って言われた(苦笑)。なんだそりゃ。どれも苦心して作った作品なのに、「公序良俗に反する」って言われて排除されるの、納得が行かないよ…。そもそも公序良俗に反するってそんなにいけないことかな?公序良俗に反しない、品行方正な作品ばかりの世界なんて、うんざりするし、ぶっ壊したくなるけど、そういうの「教育上よろしくない」ってことになるんだろうな。ふんだ。