村岡由梨、映像作家
この度、私の約7年ぶりの新作映像作品「スキゾフレニア」が、イメージフォーラム・フェスティバル2016のジャパン・トゥモロウ部門にノミネートされ、ゴールデンウィークに渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映されることになりました。
http://imageforumfestival.com/2016/
今回の作品「スキゾフレニア」は、2009年初頭に統合失調症の治療を始めてから7年目の、現在の私の自画像です。
この病気を発症した時のことは今でも鮮明に覚えていて、それは、1997年の春、15歳、中学校の卒業式の前日でした。その夜、私は、髪を全て剃りおとし、どこからか聞こえてくる地響きのような音を聴きながら(恐らく私が母の産道を通って生まれた時に聴こえた音でしょう)、白いユリと黒いユリに分裂して、深い井戸の底のような真っ暗な空間に漂いながら、体を寄せ合っていました。それは、私が自分の肉体で感じた、初めてのparadoxicalな閃光 / 体験でした。
もちろん、次の日の卒業式には出席せず、ほとんど通わなかった中学校生活はひっそりと幕をおろし、頭を包帯でぐるぐる巻きにして入学した高校生活は、わずか3日で終わりました。
その後、16歳の時に独学で大学入学資格を取得し、正式に高校を退学した後は、色々なアルバイトをしながら、旅をしたり絵を描いたりして過ごし、2002年20歳の時にイメージフォーラム付属映像研究所に入所、本格的に映像作品制作を始めました。
そして、2004年春、イメージフォーラムで知り合った鈴木野々歩さんと入籍し、2005年春に長女の眠(ねむ)を出産し、2007年秋には次女の花(はな)を出産して2児の母となりました。2人の子供を育てるため、夫と共に、実母の経営する訪問介護の会社の仕事を手伝いながら、いくつかの作品を制作・発表しました。
しかし、この間も私の精神疾患は着実に私を蝕み、「生活」と「創作」の狭間で何度も自殺未遂を繰り返しては自己嫌悪に陥り、幻聴・幻覚に悩まされ、自我の崩壊の恐怖と闘う日々は、私のみならず、夫にも娘たちにも悪影響を与え始めました。
そこで、2009年初頭、本格的に精神科クリニックに通い始めることになりました。
投薬治療が始まると、まずは全くの寝たきり状態になりました。自力でトイレにも行けず、ロレツも回らない。その後ぽっかりと現れたのが、「空虚」でした。喜びも悲しみも全く何も感じない。感情という名の泉が完全に枯れ果て、作品制作というエモーショナルな行為には到底及ばないような状態でした。これが何年か続きました。
そんな中、ようやく、新作の絵コンテを描き始めたのがいつだったでしょうか。とにかく、少し描いては停滞し、描き終わって暫くしてから、メインビジュアルとなるイメージを切り絵で制作し、また停滞して、撮影に使う小道具などを用意し、また停滞して、16mmフィルムカメラで撮影を始め、停滞し…を繰り返していたところ、転機が訪れました。
2014年初頭に開催された「第9回タグボートアワード」で、私が2008年に制作した写真作品「the second pregnancy~第2の妊娠~」が準グランプリを受賞し、その夏に台湾で新作の展示をすることになったのです。ここで、「スキゾフレニア」の制作が、ググッと前進しました。台湾から帰国してからは、また、「制作〜停滞」を繰り返しましたが、紆余曲折を経て、2016年2月遂に完成させることが出来ました。
たった10分間の作品を仕上げるのに、7年間もの時間を費やしたのは、作家としての怠慢だったのではないのだろうか、作家として一番大切な時期を無駄にしてしまったのではないだろうか、という考えもあるかもしれません。しかし、この7年間は「私が私らしくあるために」もがき続けた7年であり、大好きな娘たちに、「一人の母親としてだけではなく、表現者としての自分の在り様を知って欲しい」と願い続けた7年でもありました。
私の心はまだぐちゃぐちゃで、中学生の「あの時」で止まったままです。
来年、眠は中学生になります。
私はとても自己中心的で、決して良い母親とはいえないです。
でも、大好きな二人の娘のために、良い母親になりたい。
私は作り続けたい。
「私は表現者なんだ!」と叫び続けたい。
今年、眠は11歳、花は9歳になります。
「Transparent , the world is.」透明な世界
【次回作の概要】
私の作品では、「色」が重要な意味を持っている。
まず、私の核(私=paradox(パラドックス))は「白」と「黒」で表され、私の中の男性性は「青」、女性性は「赤」で表される。また、「赤」は、「現実」を表す色でもある。これは、「現実」を見ることによって傷ついた私の両眼から流れる血の涙の色に由来する。他にも、「空色」は「思春期」を表し(思春期の私が多くの時間を過ごした「青空の部屋」に由来する)、「黄緑色」は私の夫を表す色だ。
これまで私は、これらの色を混じり合わせたり、時には対立させたり、paradoxicalなアプローチでもって、内省的な世界を表現してきた。
それに対して、今回の「Transparent , the world is.」は、私にとって、初めての外交的な作品となる。これは、異なる色と色の戦いの物語だ。もっと言えば、「私」と「社会」との対立、異なる国家間・人種間の戦いの物語。
「個」を貫き通せば、それはやがて「世界」となる。
それは、私が創作活動を通して目指す地平でもあり、この世界の有り様も表しているのではないだろうか。