映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

お金をめぐる憂鬱

昨日はお給料日だったので、今日は、昨日頂いたお金を各封筒に振り分けました。というのも、家では、家賃を除いた家計を、「公共料金」「小学校関連」「生協」「貯金」などと書いた封筒にそれぞれ入れて管理しているのです。

正直、お金のことを考えるのが苦手です。管理するのが苦手、というわけではなく、「お金が嫌い」ということです。娘たちのことを考えると、まだまだ頑張って貯金しないとダメなのに…。今日は、作品に必要な植毛紙と机とマスクを買いました。節約しなければならないのに、一方では作品制作せずにはいられない。生活と創作。アンビバレントな状態に自殺願望が高じて、「私が死ねば保険金がおりるのに」と思ってしまう。ごめんなさい。

先週末から、娘たちが二人とも熱を出しているので、今日はクリニックを休み、お留守番しました。

9歳の長女・眠(ねむ)はおっとりとした性格で、私とウマが合います。「今日は空がきれいだねえ」などと話しながら二人で散歩すると、ポワーンと空に飛んで行ってしまうような感じになります。「あの枯れ木の梢を見て!魔法がかかってるでしょう?」という話も、ねむが相手ならば通じます。

7歳の次女・花は、気が強くてしっかり者で、なのに家ではとっても甘えん坊です。すぐに私にぺったりくっついてきて、かわいくて仕方がありません。小さくてかわいいかわいい花ちゃん。つい何度も頬ずりしてしまいます。

 

…って、つい、書き過ぎてしまいました。これじゃ毎日もたないよ(笑)!

唐突だけど、今日はこれまで!おやすみなさい!

インチキ政治家の如く!

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はてなブログに移行後、初の投稿です。

これまでは、OCNのサービスを利用していて、それが今年の11/30をもってサービス提供を終了するのを知って、これをきっかけに、これまでの記事が全部消えてしまっても良いや!と思ったのですが、気が変わりました。

最近、ブログから離れて、facebookにばかり近況をアップしていましたが、ようやく、ブログの良さとfacebookの良さがそれぞれあるんだなあ、ということがわかりました。

これからこのブログでは、毎日少しづつ、作品の進捗状況と近況をアップしていきたいと思っています。「毎日」と書いておいて、今「しまった!」と思っているのですが(笑)。

短くても良いから、毎日、が目標です。よろしくお願いします!

私のいない部屋

激しく叱責されながら、

「罪悪感」とか「自己嫌悪」という言葉では

到底形容しきれない思いが、

私を、そっと、

「思考停止」に陥れた。

…。

…。

母親失格。人間失格

私という人間がこの世にいることで、

救われる人がいるのか。いないのか。

いっそ、

私という人間がこの世からいなくなることで、

救われる人がいるのか。いないのか。

わからない。

わからない。

心がぐしゃぐしゃに潰れたまま、

激しく泣きながら、

仕事場へと、自転車を走らせた。

私のいなくなった部屋を想像する。

そこには、

踏み台に使った椅子が一つ転がっていて。

そして今、台所にぼんやりと視線をやる。

そこには、

まだ幼い娘が

踏み台に使った椅子が、ぽつんと、あった。

鍋の中をのぞこうとしたのだろう。

その姿を想像して。

…。

…。

空がきれいだと、うれしいね

 一昨日、夕方、家族で買い物をしました。私は、歩きながら空を見上げて、長女の眠の手を握って、夕焼けに染まったひつじ雲を指差して、「空がきれいだと、うれしいね」と言いました。そうしたら、眠も「そうだね、うれしいね」と言って、ぎゅっと手を握りしめてきました。

空飛ぶライオン!

 昨年11月にこのブログに載せたデザイン画を基に、野々歩さんがダンボールと色紙を使って苦心して作り上げたライオンが、先日幼稚園で行われた「新一年生会」で正式に初お目見えしました! 本当は、今春の卒園式の謝恩会で使う予定だったのですが、地震の影響で、謝恩会が中止になったのでした。

 ねむちゃん、あんなに小さかったのに(2006年6月5日付ブログ記事「ねずみがいる」参照)、今では6歳の立派なレディーです。

両眼を閉じて

 明日はお弁当の日だっていうのに、新作の構想を練っていると興奮して眠れない!

 新作は三章から成っていて、第一章「The odd numbers」では、自らの内に潜む暴力性について、第二章「透明な私」では、自分の実在に対する不安について、第三章では私にとっての「イデア」について、それぞれ表現するつもりです。音楽は、アルカンの「The Song of the Mad Woman on the Sea Shore」という曲と、前々から使いたかった「白鳥の湖」を私なりにアレンジしたものと、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」を使う予定。

 こういう風に、自分の中のイメージがだんだん形になっていく課程って、本当にエキサイティングです。仕事やプライベートで辛いことがあっても、こうして表現の自由を手にしている喜びがあれば乗り越えられる…かな(苦笑)?

 今、本当に、色々辛いのです。

 でも、両耳にイヤホンをさして、眼を閉じて、流れてくる音楽に身を委ねれば、そこには無限の自由が、私だけの自由が広がっているのです。果てしなく自由で美しい、私だけの世界。腐り落ちてしまったと思っていた私の両腕は、大きな翼に姿を変え、その世界を力強く羽ばたこうとします。けれども、ふと目を開けると、二人の娘の、残酷なまでに無垢な寝顔があって、「人を愛するということは、何て単純で複雑なことだろう」と思い、自分の足元に転がっている腐り落ちた二本の腕を、少し足で蹴ってみたりするのです。「いつまでも夜が続くように」と願って、釘を打ち付けた両眼から、赤い血の涙を流しながら。