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映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

schizophrenia

昨日のこと。

 つい、うっかり「頭がバラバラになる」と独り言のように口に出して言ってしまい、傍にいた眠にこう言われました。

「えっ、ママ、あたまがバラバラになるって、なあに? お顔もバラバラになるの? お口もバラバラになるの? かわいそうにねえ」

 その後行った現場仕事で、憂国主義的紳士にこう言われました。

「ゆりさん、男の子を産まないかんよ。そんなの時の運だって? いやいや、男を産むまで、産み続けなきゃいかんのよ」

 その後家に帰って、夕飯の仕度をしました。

 ほうれん草を茹でて、一部刻んで小分けにして、眠のお弁当の卵焼き用に冷凍しました。残りのほうれん草と生揚げで、お味噌汁を作りました。あと、コロッケを揚げて、前の日作った蕪の浅漬けとひきわり納豆をテーブルに出して、家族4人で夕飯を食べました。

 夕飯の後、眠と花は「となりのトトロ」を観ていました。眠は、始終にこにこ笑いながら観ていて、時々私に物語の内容を質問してきました。花は、口をポカンと開けて、一番小さいトトロがトコトコ走る場面に見入っていました。私は台所で洗い物をしていました。

 その後、野々歩さんが、花・眠の順にお風呂に入れました。風呂あがりの花に、ピンクのシャツを着せ、ピンクのももひきを履かせたら、花がトコトコ歩いて自分の外出用のニット帽(ぼんぼんがついたピンク色)を取りに行き自分で被り、全身ピンクになりました。お風呂から上がった野々歩さんに、「林家ペー&パー子みたいだね」と言ったら、「じゃあ芸名『林家プー』でデビューだね」ということになり、二人で大笑いしました。

 今日は、現場仕事が18時過ぎまであったので、近くのマーケットでお惣菜を買って帰りました。買ってきたお惣菜と、昨日の残りのお味噌汁で夕飯にしました。

 夕飯の後片付けをしてから、私の母に眠と花を見てもらい、野々歩さんと1時間ジョギングをしました。野々歩さんと二人きりになるのは久しぶりだったので、私は大はしゃぎで、走りながらずっと笑っていました。去年の誕生日祝いに、母が「野々歩さんと二人で食事でも行きなさい」と言って私達にくれた1万円がまだ手つかずだったことを思い出し、この1万円で、野々歩さんと私のランニングシューズを買おうと思いました。駒場のあたりの自動販売機でスポーツドリンクを買って、二人でかわりばんこに飲み、人がまばらな池ノ上の商店街を手を繋いで歩きました。そしていったん家に寄り、野々歩さんが自転車の後部座席に私を乗せて二人乗りして、近くの自転車店に行き、夕方預けてあった事務所の自転車を引き取って、帰りは二人それぞれ自転車に乗って家に着きました。帰宅予定時刻を13分過ぎていたので、母に叱られました。

 夜中突然目が覚めて、思い立ったようにこのブログを書いています。

 ブログ表現について考えています。

 この記事は179番目の記事で、私は、これまでブログを書いてきて、行き詰まることが度々ありました。今もまた、行き詰まっています。

 私のブログは、志郎康さんのブログのように、日常の堆積による何かを「表現」出来ているわけでもない。 また、しいなさんのように、もう既にプロフェッショナルな域に達していて、その達人業のような言葉さばき・人さばき・ブログさばきによって、読者との間でブログ独特な「遠すぎず近すぎず」の距離感を生み出し、多くの読者は心を掴まれ一種の中毒状態に陥るノというあれでもないです(笑)。

 上記お二方のブログは、私のとはレベルが違い過ぎるので何ともあれ(「あれ」という言葉の使い方も、「しーなねこの記録」で学びました)なんですが、何というか、私のは中途半端なのです。中途半端なのに、当たり障りのあることばっか書くから、時々痛い目を見るのです(苦笑)。

 そもそも私が自分のサイトを作り、ブログを始めたのは、自分の作品や制作スタンスを誤解されるのが嫌で、「ほんとのところを知ってもらいたい」と思ったことがきっかけでした。例えば、私の作品は「自作自演である」っていうのが大前提で、私や私の作品にとって、それはとても重要なことなんだけど、私の作品を観て、それすら理解しない人が多かったの。「え?! あれ、出演してるの、村岡さん本人だったんですか」って言われることがよくあって、当時はとてもフラストレーションが溜まっていたのね。今では「同じスタンスで作り続ければ、いつかわかってもらえる」というのがわかってきたけど、当時はわからなくて、イライラが募る一方だった。だから、サイトを作ったの。 

 そんなわけで、「ほんとのところを知ってもらいたくて」始めた、サイトでありブログなんだけど、じゃあ、ブログにほんとのところを書いているのかと言われると、そうでもないのです。決して嘘を書いているわけじゃないけど、「ブログに書けないこと」の方が、断然多いのです。その矛盾が、時々辛くなって、私は、度々ブログを書くことに行き詰まるのです。

 このブログを、私の仕事関係の人に読まれちゃヤバいのです。幼稚園のお母さんとかにも、読まれちゃヤバい。私がschizophreniaだって知られたら、ヤバいらしいのです。

 「読まれちゃヤバい」って書くのもヤバい。

 schizophreniaは私の一部分なのに。

「ほんとのところを知ってもらいたくて」始めたのに、「読まれちゃヤバい」って。

 何だ、そりゃ(苦笑)!!!!!

 「私にとってのブログ表現」談義はさておき、今回私が何を書きたかったのかというと、「私や私の家族が幸せかどうかは、私や私の家族が決めることであって、他の誰かが決めることではない」ということを、どうか理解して欲しい、ということです。

 人間にとっての幸せって、一概に「こう」とは言えないもので、その基準は本当に人それぞれだと思うのです。端から見て幸せそうに見える人でも、本人が自分を不幸だと思っていたら、やはりその人は不幸だと思うのね。だから、その人自身が「自分は幸せだ」って自分で言えるようになるまで、周囲の人は待ってあげて欲しいと思うのです。「あなたは、誰々に比べて幸せなんだから、こうしなさい」とか「あなたは、誰々に比べてここが不幸せだから、こうするべき」とか自分の尺度でなじったりしないで、幸せの尺度は人それぞれだということを、どうかわかって欲しいと思うのです。

 私の人生が幸せか不幸せかなんて、そんなtotalityの話、死ぬ寸前にならないとわからないです。

 私がブログに書いている内容は、

 あくまで瞬間的で刹那的なものなので、

 今の私に言えることは、

 「私は私のschizophreniaをとても不幸に思っている」

 「私は私のschizophreniaが、眠と花に悪影響を及ぼすと思っている」

 「私は私のschizophreniaが、野々歩さんに迷惑を掛けていると思っている」

 「眠がトトロを笑いながら見ている時、私は幸せだった」

 「花が林家プーになった時、私は幸せだった」

 「野々歩さんと手を繋いで歩いている時、私は幸せだった」

 ということくらいです。

 ああ、あとは、「早速ブログがルー大柴っぽくなった」っていうことかな(笑)

 あーあ、また当たり障りのあるブログになっちゃった。

 やっぱあんまりむいてねーんだ(笑)!

 って、もう5時半?!!!!!

 やばい、明日っていうか今日(笑)も幼稚園お弁当なのに!!!!!