映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

私の夢

 先日、大切な友人から葉書が来て、今日その返事を書いていたら、「親友のダイアナに手紙を書くアン」になったような気分になりました。…「」の中の意味がわかるかな? へっへっへ(謎) 最近「赤毛のアン」シリーズにはまっているのです。 今は第3巻目「アンの愛情」まで読み終わったところ。「ヒロイン&ヒーロー&お友達は頭脳明晰な美男美女揃い、他は全員取るに足らないロクデナシ」みたいな(笑)いかにも少女漫画的な展開に、途中、正直苦笑いさせられる部分もあったけど、やっぱり、なかなかどうして、素晴らしかった。アンシリーズの素晴らしいところは、読んでいると、生きていく上で些細に感じられるようなこと一つ一つが素晴らしいと感じられるようになるところ。 窓から見える木々の木漏れ日や、小鳥達のさえずり、洗いたての布巾から立ち上る湯気、焼きたてのお菓子の香り、夕暮れ空に浮かぶ雲の美しさ…などなど。 これらの情景を思い浮かべながら、牛乳の入ったコップ片手に1ページ1ページめくっていく(※「カントリーマアム」(=お菓子)か全粒粉のビスケットがあると尚、良い)…全く、至福の一時であります(笑)。

 アンシリーズを読み始めて、私の中に真剣な夢が二つ出来たの。 一つは、将来、アボンリーのようなところに住むこと。 もう一つは、ミス・ラベンダーが挙げたような結婚式を挙げることです。私達はまだ結婚式を挙げていないから。 どちらも本当に真剣な夢です。 これらの夢が自分の中に芽生えて、初めて自分の中に、「『長生きして、共に年老いた夫が傍らにいる』人生も悪くない」っていう感情が沸き上がったんです。 まだ成熟しきっていない感情だけど、これって私にとって、とても画期的なことなのです。

 心の中に平和が欲しい。最近特にそう思います。私は、「心の中に平和がある人」が好きだし、そういう人を心から尊敬します。ここでいう「平和」っていうのは、とびきり静かで穏やかな類いのものね。 なかなかそういう人っていないけど…。 仕事柄、お年寄りに接することが多いけど、いくら年齢を重ねていても「心の中に『平和』を持っている人」っていうのはそうそうお目に掛からないです。 もちろん、私なんか、まだまだです。

 他人を赦せなくなって、自分自身も赦せなくなって、全てのことが受け入れがたくて苦痛に思える時、「出家しようか」と考えたことが何度もあります(昨日もそうだった(苦笑))。でもその際最も大切である「信仰心」を持ち合わせていない私がそんな選択をするのは、余りにも安易で軽薄なことだとも思うわけです。…そんなことを昨日悶々と考えていたら、ふと、私にとって作品を作るということは、出家(というか修行)に近い行為なのだな、と気が付きました。自分自身を見つめ、作り続けることで、私はいつか解脱することを望んでいるんだなあ、って。「そうか、私は宗教心から作品を作っているのか」と、妙に腑に落ちたのであります。変な考え方だし、間違ってるかもしれないけど、まあいいや。

 何だかポワーンとした書き込みですね。何だかポワーンとしてきちゃった(笑)。アンを読んでると、何だかポワーンとしてしまうのです。今、お腹の子が「早く寝ろよ」と言わんばかりに蹴っ飛ばして来ました(笑)。ほんと、ポワーンとしてねえで、早く寝ろよ、私!