映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

口は災いの元

歯が鳴る

かち かち かち かち

舌を出したり入れたりする

ぺろぺろぺろぺろ

 

自分の耳をひきちぎりたい

 

気が狂いそう

花という名前

the name of 花 which means "flowers"

 眠の名前の話をしたので、花の名前の話もします!次女の花の場合は、第一に「『平和』を想起させるような名前にしたい」という希望がありました。野々歩さんが「『花』はどうかな」というので、字源を調べてみたところ、草かんむりは植物、化という部分はそれぞれ生きている人と死んでいる人を表していることがわかりました。生きている人と死んでいる人の上に植物が生い茂っている、それが正しく私たちにとって「平和な光景」のような気がして、迷わず「花」と名付けることに決めました。花自身もこのエピソードをとても気に入っていて、自分の名前が好きみたいです。嬉しいです。

 

2008年の暮れに新宿眼科画廊で開催された映像個展「花の起源」。この時デザインしたDM、結構気に入っています!

Shinjuku Ophthalmologist Gallery http://gankagarou.sakura.ne.jp/sche/2004_2009/s-muraoka2008.html

 

小さな姉妹に贈った小さな作品「花の起源」はこちらから。
花の起源 / Origin of flowers on Vimeo

 

眠という名前

 the name of 眠 which means "sleep"

 先日、長女の眠が次女の花に、

「私、『眠』っていう名前、結構気に入ってるんだから」

と言っているのを聞いて、すごく嬉しかったので、忘れないように、ここに記録しておきます。

  元々、「めったに人が訪れることのない森の奥深くにある神秘的な湖の水の色」っていうイメージが私の中にあって、そこから「眠り」という言葉が出てきたわけなんですが…。

 参考までに、臨月の時に書いた日記から以下抜粋します。

 (↓変なタメ口でごめんなさい…)

名前はね、「眠」という名前にすることにしました。「ねむ」だか「ねむり」だか、読み方はまだ決まってないんだけと。「眠」という名前にしたいのには色々と理由があって、まず一つは、「よく眠る子になって欲しい」っていう願いを込めて(笑)。「寝る子は育つ」って言うでしょ? あとは、私にとって
「眠り」とは「覚醒」を意味する言葉なんです。そんなわけで「覚醒している人になって欲しい」っていう願いを込めて。あと「眠」っていう漢字の字源。この漢字はもともと、「両眼に刃を刺された民」=「めくら」を起源とするらしいの。私にとって、この世界にこの子を産むっていうことは、この子の両眼に刃を突き刺すようなことなんです。この世に生を受け、生きていくってことは、とても辛いことだと思う。両眼に刃が突き刺さって真っ赤な血を流していても、その「赤い世界」から目を背けることを許されない。とても辛いことだと思うんです。だから、私がこの子に敢えて伝えたいのは、見たくないものは見なくても良いということ。それでも常に「覚醒」していて欲しいということ、なんです。

 そして、眠の出産の後作ったのがこの作品。


yuRi=paRadox ~眠りは覚醒である~ / yuRi=paRadox 〜sleep is equal to awake〜 on Vimeo

 余談ですが、妹の花は、眠のことを「お姉ちゃん」と呼びません。最初は「おねみ」って呼んでて、その後「おみね」になり、今は「みね!」って呼んでいます(笑)。ねむまろ(私はこう呼ぶことが多い)って一体…

 

 

思考停止

ファンタジーとリアルの共存は可能なんだろうか。

 

近頃、言葉に言い表せないほどの恐怖でしばしば思考が停止する。

 

自分の今までの言動や行動でどれだけの人を傷つけてきただろうか。

私には幸せになる権利なんかない。

今に、とてつもなく恐ろしいことが起こる。

 

死ぬしかない。

死ねば、二人の娘たちの心にざっくりと傷痕を残すのに。

ママ、長生きしてね。200歳まで生きてね。

そう娘が言う/言わせてしまう、母親という名の私。

これ以上、誰を傷つけようというのか。

夥しい数の人の不幸の上に成り立っている私の生活。

さらに自分の娘たちを不幸にして、その残酷な層を重ねて逃げようというのか。

 

いつか私は、5、6歳の頃の自分に戻れるんじゃないかと、

漠然と思いながら生きてきた。

確かに辛くて悲しいことはいっぱいあったけれど。

夏の夕暮れ時に聞こえる、虫の鳴く声と木々のざわめきや、

明け方ふと目を覚まして、雨戸の隙間から見た、変わりゆく空の色。

この世界が永遠に続いたらいいな、と思っていた。

世界はファンタジーに満ち溢れていた。

 

今、私の両眼はヒリヒリとした生身の「現実」に直面していて、

それを受け入れるかそこから逃げるか、の二者択一を迫られている。

 

私はまだ結末を見たくない。知りたくない。

 

私の中で「ファンタジー」と「リアル」の共存は可能なんだろうか。

2017年11月12日現在の私、のステートメント

「私は無益で精巧な一個の逆説である。」(三島由紀夫

 

 小学生の頃、ふとした思いつきで「逆説(パラドックス)」について作文を書いたのが、私とこの言葉との出会いでした。それ以来、私にとって「パラドックス」は、自らを表象するキーワードとして、なくてはならない存在となりました。その後、成長するにつれ、私は私自身の核「私=パラドックス」を自覚/体験するようになり、今にも私を真っ二つに引き裂きそうなアンビバレンスに激しく苦しめられ、その苦痛はいつしか「これを具現化したい」という欲望に変わりました。そして、2002年に本格的な創作活動を開始してから、一貫して「セルフポートレート」にこだわった自作自演の映像作品・写真作品などを制作し、今日に至ります。
 私にとって、「つくる」ということは「私自身を生きる」ということ。それは、結婚して出産して二人の娘の母となった今でも変わりません。むしろ、「私らしくありたい、表現者としての自分を生き抜きたい」という願いは、より強く切実なものとなりました。私が死んでしまっても、私がこの世界に生きた軌跡である作品を通じて、娘たちに「自分らしく生きてほしい」というメッセージを届けることが出来たなら。 私は、その先に「何か普遍的な答えのようなもの」を見つけることができるのではないか、という気がしてならないのです。

work in progress

新作「透明な世界」から。日本人である私。白・黒・立方体・青空は、私の核「ユリ=パラドックス」を構成する最も大切な要素。


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同じく「透明な世界」から。青空のブルカを纏う私と、展開して十字架になった立方体。
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