真昼の手術
ねむが、「くまちゃんのうでがとれちゃった。なおしてあげて」と言うので、昨日の昼間、仕事の合間に縫うことにしました。
最近、ねむが私のことを非常に恋しがっているので、ねむからの頼み事は、出来るだけ断らないようにしています。
早速、裁縫箱があるパソコン部屋に行くと、プリンタの上に、既に「患者さん」が寝ていらっしゃいました(笑)。
ねむは、「せっかく寝かしつけたんだから、しずかにして(※)」と言って、懸命に花ちゃんを追っ払っていました。(※野々歩さんが花ちゃんを寝かしつけている時、ねむによく言っている言葉です)
そして、前回の手術に引き続き、執刀医=私・助手=ねむという「あぶないコンビ」による手術第2弾が厳かに執り行われたのでした。
以下、執刀医と助手の会話。
助手「ここは びょういん屋さんですか」
執刀医「そうだね、病院だね」
助手「くまちゃん、ぐあいがわるいのね」
執刀医「そうだね、かわいそうにね…」
助手「(床に転がっていたイルカのマスコットを持って)イルカさんは、おおきいおさかな、なのよね」
執刀医「ううん、イルカさんはお魚に似てるけど、お魚じゃないんだよ。(←「イルカは哺乳類である」と言いたい) ねむちゃんみたいに、お母さんのおっぱいを飲んで育つんだよ」
助手「…(不満そう)」
執刀医「…」
助手「とれない とれない!(←「必笑だんご剣」というおもちゃに、アンパンマンのタンバリンについている紐を自分でからませ、こんがらがって、あわてている)」
執刀医「…」
助手「ママ、あとで(ひもを)とってくれないか?(←最近、急に話し方が男らしくなることがある)」
執刀医「いいですよ」
そんな調子で(?)無事、くまちゃんの手術は成功したのでした。ねむは、術後のくまちゃんを自分の懐に入れて、一生懸命温めていました。なぜか、私の懐にも入れてきたので、私も温めてあげました。
昨日の朝、とてもお天気が良くて、自転車で仕事へ向かっている最中、近所の一軒家の門柱のところに竹ぼうきが1本、立てかけてあったのね。傍には掃き集めた小さな落ち葉の山があって。 それを見て、いいなあとぼんやり思ったの。朝起きて、庭掃除をして、炊事をして、子供たちを送り出して、洗濯をして、掃除をして、午後、日がやわらかくなって来た頃繕い物なんかして、夕飯の献立を考えて、夕飯を作って、お風呂をわかして、家族で夕飯を食べて、みんなでお風呂に入って、ほかほかした体でおふとんに入って、子供達に絵本を読んであげて、お空がきれいだねって言いながら眠りに落ちる。
そんな生活がしてみたい、と思いました。
あちこちで色々なカウントダウンが始まっていて、どうしようもなく追いつめられているのだけど、そんな中でも平静を装っていなければならなくて、とても苦しいのです。時間は無常・無情に流れて、私にも、私の子供たちにも、死は必ず訪れるんですね。「人生は絶望でいっぱいだけど、ほんの少しの希望があれば、それだけで、人生を生き抜く価値がある」と誰かが言っていました。誰か、じゃない、私の父でした(苦笑)。今年、私の父に会った時に言ってた言葉でした。
良い言葉だな、と思います。