不思議の国のアリス症候群
今日、10月22日は私の誕生日です。
野々歩さんの誕生日でもある。
野々歩さんは、私より1歳上です。
1歳しか違わないのに、
私にとっては、ずっと年上の人のような感じ。
とても尊敬しているのです。
「野々歩」なんて呼び捨てにすることは、一生涯無いです。
私にとっては、ずっと、野々歩「さん」です。
10月11日の花ちゃんの誕生日には、
スマーフの赤ちゃん人形と、きのこのお家をあげました。
眠にも何かあげないとあれなので、
ピンクのオープンカーに乗った、スマーフのお嬢さんのお人形をあげました。
野々歩さんは、私に、緑の小箱をくれました。
鳥や睡蓮の、とてもきれいな彫刻が施されています。
前から、亡くなったラブラドールの骨を入れる小箱が欲しかったのです。
鳥や花のモチーフは大好きなので、とても嬉しいです。
誕生日なのに、私は、死ぬことばかり考えています。
人のことを言えた立場ではないですね(苦笑)。
ねむちゃんとはなちゃん、ごめんなさい。
ののほさん、ごめんなさい。
おかあさん、ごめんなさい。
一昨日、初めてこの言葉を知りました。
私の場合も、間違いなく当てはまる項目がいくつかあります。
こんな症例があったんだねー、という感じ(笑)。これを患っている人ならば、私の作品を見て、私が自分の作品を「自分の体験と感覚に基づいて作っている」ということをわかってくれるのかなあ、と思いました。
私の作品を見て、「これは○○的」とか「○○の影響を受けている」とか色々言う人がたまにいるけど、以前はそれがすごく嫌だったの。今も、まあ、嫌だけどさ(笑)! ○○なんて、見たことも聞いたこともねえよ、なんて場合も多々あったし。「○○の模倣」なんて言われると、それはもうカチンと来て、「私が○○より先に生まれてりゃあ、○○が私の模倣と言われただろうよ! けっ!」って悪態をつきたくなったこともありました(笑)。 とにかく、そういうのを言われる度に、「そうじゃない、自分のインスピレーションの源は、それじゃないのに!」って心が締め付けられました。
…っていう一昔前の葛藤があったので、一昨日上記の言葉に出会った時に、妙に惹き付けられたのだと思う。自分の作品が真に意味するところを他人に理解して欲しいっていう気持ちが、自分にまだあったのか!と思って、何だかちょっぴり恥ずかしいような(笑)…
でも、全体的には何だかとても悲しくて、
誕生日なのに、私は、死ぬことばかり考えています。
ねむがどんぐりをくれたので、顔を描いてみた。