映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

イカレルゆりっぺ IN 京都

 一昨日は、アジアデザインコンペの表彰式に出席する為&入選した自分の作品がどのように上映されているのかを査察?する為に、夫と娘と私で京都まで行って来ました。

 表彰式等に関する感想は…帰る道々、心行くまで散々悪態をつきまくったので(笑)もういいや!という感じです。ここには敢えて書きませぬ…(笑)。

 代わりに、今夏、渋谷へ観に行った「レオノール・フィニ展」の感想を書きます。

 私は、この展示で初めてフィニやフィニの作品のことを知ったんだけど、何ていうか…この人の作品は、この企画のように、彼女の描いた絵やデザインした衣装や映像を一同に介した「フィニ展」っていう形で展示して、初めて活きる作品だなあ、と感じました。どれか一作品をピックアップして、誰か他の人達の作品と一緒に展示したのでは、余り活きない作品なんじゃないか、という気がするのです。彼女が生まれて死ぬまでが一つの作品で、全ての作品が一つの流れを作り出している。この流れを体感しないと、(ましてや一作品を観ただけでは)フィニを語ることなど出来ないんだろうなと感じました。

 あとは、自分や自分の作品をカテゴライズすること・されることを心から嫌っているんだろうな、というところが感じられて、そこも共感が持てました。私も大大大嫌いだから(笑)。よく、一つの作品をとりあげて、「この作品は○○的」とか「○○の影響を受けている」とか、好き勝手に分析・批評する人がいるけど、フィニは、「そんなん知るか! わしゃぁフィニじゃ! それ以外の何物でもないわ! 私は私の好きなようにやるわい!」っていうところが感じられて(笑)、そこがとても好感持てたのです。

 芸術は多様であり、自由である。そのことに異論は無いの。ただ、そこにこだわり過ぎたら、もはやそれは多様でも自由でもないんじゃないかって思うのね。

 余談だけど、京都からの帰り道、夫が冗談混じりで、「ゆりっぺの落書き((注)私が眠れない夜に色画用紙に描く落書き。もしくは、夫とおしゃべりしている時とかに、そこら辺にある紙切れに何気なく描く落書きのこと。)を出品してみたら? 案外(審査員の方々が)面白がるかもよ。」って言ってたのね。 でも、私は、そういうのを面白がってもてはやす人の方がよっぽど面白いな、と思いました(笑)。でもね、ここだけの話、実は、表彰式の間に、ベビーカーに座っている娘と一つ作品を完成させたんです! これ、来年の同コンペに出品するかもしれない。さて、どうなることやら…。

 最後に、一回だけ悪態ついても良いですか(笑)?

 せーの…

 人も建物も乗り物も、もっと乳児を連れている人間に気を遣いやがれ!!!

 …以上です(笑)。

 娘を連れた遠出が、想像以上に過酷だったの。建物も乗り物も思ったほど設備が整っていないし、人は気が利かないし。中には良くしてくれた人もいたけど。京都造形大の保健センターの女性とか。でも、ホント、人間の想像力とか創造力を、もっとこういうところにも費やしやがれ!と思います。