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映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

小学生の親になった

 先週水曜は眠の、そして今日は花の、入学式・入園式でした。

 自分が小学生の親になっただなんて! この現実に、全く付いて行けてないです。そういう「付いて行けてない自分」を、「私は私」と肯定出来たり、「このままではいけない」と否定してしまったり…。10代の頃は「自分は20歳になるまで絶対に生きていない」と思っていたのに。

 この約2年間、(今も続いている)精神疾患の治療があったりして、構想はいくつかあるものの、作品らしい作品を制作・発表していないのですが、今年は是非、一作品だけでもいいから完成に漕ぎつけられればと思っています。

 人それぞれ、作品の制作動機は違うと思うのですが、今の私の中で最も強いのが「表現者としての生き方を貫きたい」という思いと、「自分の生き様・死に様を娘達に見せておきたい」という思いです。特に後者。誰に見せたくて作品を作るのかと問われれば、今の私は、迷わず「自分の娘達」と答えると思います。名だたる批評家でもなく、お偉い先生方でもなく、その他大勢の人々でもなく。「小学生の親になった私」を肯定し、否定し、葛藤しているそのままの姿を、娘達に受け入れて欲しい、という、正直、そういう気持ちなのだと思います。

 先日の新一年生保護者会で、堂々の「表現者宣言」(?)をしたことだし、よし! 頑張ります。

 話は変わって、昨今の大震災関連のニュースを日々目の当たりにして、被災者の方々がどんなに不便で苦しい生活を強いられているのかを思うと、東京に住む自分はとても恵まれていて、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。大震災だけではありません。新聞を開けば、コートジボワールで数百人虐殺されただの、リビアNATO誤爆が続いているだの、今この瞬間も世界中で沢山の命が失われている現実を突きつけられます。何百人、何千人、何万人単位で人が死んでいくのを目の当たりにして、その一つ一つが自分の子供と同じくかけがえの無い命だということに思いを馳せると、その瞬間、「生きるということ」「死ぬということ」が強烈なイメージでもって私の精神に激突します。命に、「軽い」も「重い」もなく、「それ自体が強烈なイメージだ」という感じ。そのショックでクラクラする頭で、やはり考えるのは、「これからの自分の生き方」です。何百人、何千人、何万人単位で人が死んでいくこの世界で、何を守り、何を貫き、いかに生きて死んでいくのか、ということを、生き残った人々は考えていくべきなのではないかと、私は思います。