砂漠に立つ私
私が今まで出会った精神科医で、唯一信頼している方がいて、その方と先週お会いしたのです。
先生は静かな声でこう言ったの。
「あなた達家族の『これから』の青写真を頭に思い描いて、それに近づけるよう、これから色々と始めて行かなければいけないのですよ」
先生にそう言われて、私は、私達家族の『未来』の家族写真を頭の中で想像したのです。
美しく成長した眠がいて、花がいて、中年になっても相変わらずな感じの野々歩さんがいて。
でも、そこに私の姿が無いのです。
それは余りにも不自然で、まるで私の姿だけが切り取られたような、歪な家族写真。
私は先生に泣きながら言いました。
「私の姿だけが見えない。透明で、何も見えないのです」
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こんな話の後に、何ともくだらない、ふざけた話になってしまうのだけど、
私は、自分自身、女性としての魅力に欠けていると思っていて、とても自信が無くて、
野々歩さんにもよく訊くのです。
「こんな私みたいのじゃなくて、もっとムッチムチして女らしい人をお嫁さんにした方がいいんじゃないかしら?」とか、「もし私が中年になって、ブックブクのゴッツゴツになって、パンチパーマみたいな変な髪型になって、変なスパンコールの付いたテカテカのシャツに、ヒョウ柄のスパッツなんか履いちゃって、せんべいの袋を片手に、ゴロゴロしながらワイドショー観て、ゲヘゲヘ笑ってるようなおばさんになっても、私のことを好きでいてくれる?」とか(笑)。
自分で書いてて、余りにもアホらしくてほんと失笑ものなんだけど、結構本気で訊いているのです。しかも結構頻繁に(笑)。
で、野々歩さんは大抵一笑にふすんだけど(当たり前だよね(笑))、ある日、大真面目な顔でこう言ったのです。
「由梨はね、年を取れば取るほど美人になっていくと思うよ。今、頭の中でぼんやり想像してみたんだけどさ、由梨がおばあさんになって、体から余分な肉が全部落ちてとても細身になっていて、顔にはきれいな皺があってさ、その細い体にきれいな衣装を纏って、砂漠みたいな広大な場所で、今みたいに自作自演の作品を作り続けているんだよ。その姿を想像しただけで、俺はもう凄くゾクゾクして、楽しみで仕方が無いんだよ」
そう言われて、私は泣いたの。涙が「透明な私」にトクトクと注ぎ込まれていって、ほんの一瞬「年を取った自分」の姿が見えたような気がしたの。それはとても奇跡的な瞬間だった。
野々歩さんが言ってくれたこの言葉を、私は死ぬ瞬間まで絶対に忘れないと思う。
良い母になりたい。
良い妻になりたい。
他のことは二の次三の次。
もう、多くは望まない。