映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

器から悲愴が溢れる

 仕事柄、死に直面している人と接する機会があって、今も何人かと接しているのだけど、何だか最近、とても辛いのです。

 その人の命はその人自身のものであって、どんな人でも、その人自身が「どのように生きてどのように老いてどのように死ぬか」を選択する権利があると思うのです。その権利は、その人の親であっても子であっても主治医であっても、犯すことの出来ないものだと思うのです。

 人は誰でも、突然意識不明の重体になったり、もう二度と自分の意思を表明することの出来ない事態に陥る可能性を孕みながら生きているわけだから、どんな健康体の人でも、日頃から「自分に万が一のことが起こった場合」に自分が望む選択肢を明確にしておく必要があると思います。ましてや、アルツハイマーなどの病気になった場合は、早期の段階で本人に告知し、その後の生き方・死に方について、本人が明確な意思表示をしておく必要があると、私は、強く思います。

 例えば、自分は絶対に死にたくない、石に食らいついてでも、最後の最後まで生き続けたい」と本人が望むのならば、それはそれでいいと思うのです。本人の意思を尊重して、周りがサポートしてあげれば良いと思います。一番大事なことは、本人の意思を尊重しようという気持ちが、周りの人々にあるかどうかだと思うのです。

 人が、その人らしく生きて、その人らしく死ぬこと。それが出来ずに、苦しみながら死に向かっている人のことを見るのが、とても辛いです。もっと元気だった時の姿を知っている分、尚更辛いです。自分たちに出来たことはもっとあったはず、とやり切れない気持ちになります。

 家業とはいえ、最近、とてもこの仕事が辛くて、だからといって逃げ出すことももちろん出来ず、とても苦しいです。

 仕事だけではなく、作品制作や他のことでも追い込まる一方なのですが(苦笑)、私は今、恐らく何かを決断しなければいけない時期に来ていて、その決断をすることで、もしかしたら何か大きなものを喪失するかもしれない、と漠然と感じています。とにかく「このままではダメだ」という気持ちでいっぱいなのです。

 何がダメなのか、まだちょっとわかりませんが(笑)。

 わかりませんが、とにかく、心が悲愴感でいっぱいなのです。わかりませんが、野々歩さんの傍にくっついて、眠りたい気分です。 おやすみなさい