映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

秋葉原の事件に思うこと

 ここ数日、私の精神状態が加速度的に悪くなっていて、近所のスーパーの精肉コーナーで「ああ、屠殺された動物たちの肉に囲まれている」って思っただけで、気が遠くなってその場に崩れ落ちそうになった…くらい悪いのです(苦笑)。

 この状態の悪さの原因は色々あるんだけど、連日報道されている秋葉原の通り魔事件の影響も大きいと思う。ほんと、情報統制(「新聞・ニュースを見ない」など)しないとね(苦笑)。

 このようなニュースを見て私自身どうして気分が悪くなるのか、というと、自分の中学生の頃を思い出すからなのです。端的に言えばね。

 私はこの事件の当事者ではないし、私のケースと今回のケースは全く違うと思うんだけど、例え的外れであったとしても、私なりにこの場にどうしても書きたいことがあったので書かせて下さい。

 私は中学生の頃、自分を苦しめた/苦しめている/傷つけた/傷つけている「社会」や「特定/不特定の人(または人達)」に対する不満や憎しみでいっぱいでした。それらの対象に殺意を抱くほどの憎悪です。怒りで肺が焼け焦げて口から飛び出しそうになるくらいの憎悪です。

 でもね、その時私は自分に問い続けたのです。「じゃあ、自分はこれまで誰も傷つけることなく生きて来たのか」ってね。そんなはずはない。私だって、今まで生きて来た中で、親や姉弟や周りの人達を、大なり小なり傷つけながら生きて来たじゃないかって。私に傷付けられたことで、今の私同様深く傷ついて苦しんでいる人もいるかもしれないじゃないかって。

 私は中学時代、自分の中の怪物と対峙するのに忙しく(笑)、ほとんど学校へは行かず、高校は3日で行くのを止めました。「勉強だけなら一人で出来る」と思っていたし、16歳の時独学で「大学入学資格検定(=高校卒業と同等の資格)」も取得出来たので、高校2年生になる前に籍も抜いて自主退学してしまいました…って、しゃあしゃあと書いているけど、これだけでも相当な親不幸者です(笑)。両親が早くに離婚して、母は女手ひとつで私達3人姉弟を育ててきたんだけど、それだけでも大変なのに、その上、私立の小学校中学校と進学させてくれた。それに対する私の対応、こりゃなんだ、ということですよ(苦笑)。母は私の選択にいちいち口出しはしなかったけれど、やはり悲しかったと思います。

 上記のように、「人を殺したいほど憎む」ということは、精神的にも肉体的にもつらいことだと思う。それは、私も経験しているし、未だに残っているから良くわかるのです。でも、憎まれる方だって、苦しいのですよ。それに、自分自身も同じ苦しみを人に与えているかもしれないのですよ。 人間が生きるってそういうことなんじゃないか、と思います。このようなことに気付いたからといって、簡単に自分の中の憎しみが消えるわけではないから、新たな葛藤も生まれて、「もう何が何だかよくわからん」状態になってしまうと思うけど、それでいいじゃないか、と私は思います。 私なんか、この「憎しみ」がうまく消えないまま/自分の中でうまく処理出来ていないまま、現在子供が二人もいるのです。目に入れたって痛くないような、本当にかわいい娘たちです。「自分の子供」って、自分よりももっと傷つけたくない存在です。自分の子供は、誰にも殺されたくないし、誰も殺してほしくないのです。もし、誰かが私の娘達を殺したら、もし、私の娘達が誰かを殺したりしたら。 私は、その時ほど私の中の「憎しみ」を呪うことはないと思います。だから何とかしなくちゃならない。これぞ、「That'sもう何が何だかよくわからん状態」ですね(笑)。

 私に「作品制作」という方法があって、良かったです。

 こういう風に、自分の心情を吐露するようなことを、(不特定多数の人が見るであろう)web上でやっていいのかどうか、悩むところですが、何らかの一助になれば幸いと思って書いた次第です。

 最近おせっかいやってばっかりだな、私(苦笑)。