昨日の夜中、野々歩さんと、私の精神状態について話をした。
私の精神状態は明らかに悪化していて、以前は、鬱状態の時「どうしても手や足が動かせない」「動かしたいのに動かせない」という状況であったのに対し、現在は「動かしたいという思い」や「それを思っている自分自体」が、まるで、自分から遠く離れて起こっている出来事のように感じる状況だ、と話した。
以前、私の目の前に積み上げられていた複数個の白黒のボックスの内の何個かが突然消えて、残りが宙に浮いたことがあった。その直後、私は2回目の大量服薬をし、意識を失った。そして、今までに経験したことの無い苦痛(今思えば、出産とは全く違う種類の苦痛であった)を経て、例の看護婦に出会ったのだった。
むせ返る様に化粧が濃く、異様に体の小さい女だった。
鼻持ちならない女だった。
その女は、車椅子に乗り手足の自由が利かない私に、分厚い本を渡し、それを読むようにと言った。 私は読んだ。 そして、その女を呼び止め、本の内容について話をしようとした。 すると、その女は言った。
「鈴木さん、そんな本、無いわよ」
そんなことはない。たった今、あなたが私に渡した本だ。
そう言いたくても、喉がしまるような感じがして声が出ない。 「違う」「違う」と喉を振り絞って声を出すが、その女には聞こえないようで、女は必死に笑いをこらえながら、
「鈴木さぁん、しっかりしてくださぁい、鈴木さぁん」
と私を嘲った。 本は確かに消えていた。
次にその女は、私に紙を渡し、字を書くようにと言った。 私はそれに応じた。
しかし、次の瞬間、書いた文字が消えていた。
私はそれを女に訴えた。 女は言った。
「鈴木さん、どこに紙なんてあるのよ」
確かに紙が無くなっている。 私は、涙を流しながら「違う」「違う」と繰り返した。
私は車椅子から崩れ落ち、必死でその部屋から逃げようとした。 しかし、その女は先回りをし、出口に立ちふさがり、苛立ちと嘲笑を含んだ声でこう言った。
「鈴木さぁん、いい加減にして下さいよ、鈴木さぁん」
昨日も私は、野々歩さんに、「この看護婦は実在するのか」と訊ねた。野々歩さんは「わからない」と言った。 野々歩さんは仕事があったので、私が病院に担ぎ込まれた日の翌日は、私に付き添えなかった。だから、本当にわからないのだという。
私は野々歩さんに言った。 いつかまた、あの看護婦がやってきて「鈴木さぁん」と言うのが恐くて仕方がないのだ、と。
鈴木さん、どこに野々歩さんなんているのよ。
鈴木さん、どこに眠ちゃんなんているのよ。
みんな、本当は、いないのよ。
あなたも、本当は、いないのよ。
私は、野々歩さんに言った。 白黒の部屋のドアを開けないで。
不吉な泣き声をあげて、足元の金網に細い足を絡め、グロテスクに体をねじった状態で死んでしまった、私の小鳥。
グロテスクに体をねじり、奇妙に歩行する眠。
自分のドッペルゲンガーを見た者は死ぬ、と聞いたことがある。
私が再び私と遭遇する時、私は死ぬのだと思う。
さっきまで、仕事をしながら、ベルリオーズの幻想交響曲を繰り返し聴いていた。 前作に引き続き、次の作品でもこの曲を使おうと決めたのは、ベルリオーズの心情が痛い程よくわかるからだ。 繰り返し繰り返し聴くにつれ、まるで彼の苦しみが流れ込んでくるようだ。人を愛することが、こんなにも自分を混乱させ、自分を破壊するなんて。 まるで幼児の落書きのように、大胆で、繊細で、見る者を不安な均衡に陥れる。
合わせて、オリジナル・ロンドン・キャストのThe Phantom of the Operaも繰り返し聴いた。 これを私にプレゼントしてくれたAさんのことをぼんやりと考えていた。
私は、全世界で唯一人、野々歩さんに、私の全てを理解して欲しいと願う。
今、私のことを理解している唯一の人、Aさんにその手助けをしてもらいたいと思う。