映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

札幌とパリ

 昨年から今年にかけて、東京・アメリカ・エストニアセルビア・エジプト・インド・イギリス・ポーランド・フランス・コロンビア・カナダ・ロシア・名古屋と旅してきた、私の映像作品「スキゾフレニア」が、今月、札幌とパリで上映されます。

【第12回札幌国際短編映画祭

sapporoshortfest.jp【19th Paris Festival for Different and Experimental Cinema】

http://www.cjcinema.org/

 

 残念ながら、フランスでの上映(私の作品は10/12)には立ち会えませんが、札幌での10/6(金)10/8(日)の上映には参加する予定です。会場で見かけたら、お気軽にお声がけください!

 また、現在、札幌国際短編映画祭FacebookTwitterでは、私がスマホで制作した明るい(笑)PR動画が公開されています。約1分の短い動画なので、みなさん気軽に観てください。

www.facebook.com

https://twitter.com/sapporoshort/status/913924384053633024

  今回の上映が終われば、私の中で「スキゾフレニア」に関して、何だかほっと一区切りつくような気持ちです…。

 

https://twitter.com/sapporoshort/status/913924384053633024

 

暗くて、鏡のない部屋

 今から約10年前、せんだいメディアテークで初めての個展を開催するにあたって、知人や友人へ送った案内状に同封した手紙です。

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 昨年6月に引越しをするまで、私は、青空がある部屋に住んでいました。
 3人姉弟の真ん中である私は、「一人部屋」を持ったのが姉弟の中で最も遅く、中学3年の頃でした。とにかく自分専用のスペースを持てることが嬉しくて、母に「自分の部屋の壁紙を選びなさい」とずっしり重い壁紙サンプル集を手渡された時、即断即決で青空の壁紙を選びました。

 「青空の時代」の私は混沌と混乱の真っ只中にいました。殆ど学校にも行かず、ただひたすら自分の核(私=パラドックス(逆説))と対峙し、自分の精神や魂が互いの肉体を食い潰そうとするのに必死で抗っていました。抗うのに忙しくて、高校も3日で行くのを止めました。

 この時期、私と私の核との関係はある究極まで達しましたが、それと引き替えに、私の時間的成長は15歳で止まりました。

 それから約10年の月日が流れ、私は今年25歳になりました。姑息な表現が許されるのならば、「25歳になったらしい」と言った方がしっくり来ます。未だに思春期の混沌と混乱の極みにいる私は、久しぶりに会った同級生が、きれいに化粧をし、お酒を飲み、異性の話をしたりする「大人の振る舞い」に全くついていけず、絶望的な戦慄に襲われるのです。まるで、不釣合いな赤い口紅をベッタリと唇につけ、不気味に真っ赤な巨大ハイヒールを履いて歩く幼女のような、後ろめたい気持ちになる…この気持ちは、浦島太郎にしかわからないでしょう。

 そんな私が、結婚をして家庭を持ち、妊娠し、出産をしたのです! その混沌と混乱といったら、もうとても言葉で書き表すことなど出来ません。なので、言葉以外の方法で具現化するべく、今回の作品を作ることにしたのです。
 娘を出産して、私の中で新たに覚醒したもの。私の中の悲しみは、より深い悲しみとなり、私の中の喜びは、より深い喜びとなり、私の中の苦しみは、より深い苦しみとなりました。それが、今回の作品にも必ず表れていると思います。

 東京(など)にお住まいの方に、仙台で開催される個展の案内をお送りするのは何だか恐縮なのですが、何かの間違いで仙台にお越しの際は是非お立ち寄り下さい。今回の個展では、新作映像作品の上映だけでなく、インスタレーション等にも挑戦します。毎回「これが遺作だ!」と思って命懸けで制作に取り組んでいます。今回が正に遺作になるかもしれません! 搬入日までは生きるよう頑張りますが、搬出日には死んでいるかもしれません。何だか、文章のテイストが最初に比べると大分変わってきましたね。恐らく「浦島太郎」あたりからでしょう。それでは、皆様、ごきげんよう

平成18年11月 村岡由梨

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 「15歳」というのは、私がちょうど統合失調症を発症した年齢で、ここに出てくる「娘」の眠(ねむ)は2017年8月現在、中学1年生で思春期真っ只中、一方の私は思春期で時間が止まったまま、思春期の娘と対峙する母親になったというわけです。

 思春期になるとニキビが出来たりして、よくも悪くも外見や内面に変化が訪れる時期でもあります。沈んだ顔をして、鏡の前に立っている眠を見ていると、家中の鏡を割って暗闇の中でしか自分の顔を直視できなかった自分を思い出します。
 外を歩くと、「かわいい」とか「きれい」とか、どこかの誰かか作り上げた価値基準に自分を合わせようとして、結果同じようなメークやスタイルで闊歩する不気味な集団に遭遇したりして、とにかく気持ちが悪くて仕方がありません。そして、自分の娘には「他人が作った価値基準に自分を合わせようと無理しちゃダメ。新しい価値基準を自分で作り出すくらいの勢いで生きないと!」なんて言ったりもするのだけど…。
 とにかく、虚しい。結局、不気味な群れをなす人々のそれも含めた、いろいろな生き方を受け入れるだけの、優しさや懐の深さが自分には無い。それが私の人間的な欠陥なんだと思うと、ただもう、とにかく、虚しいのです。