映像作家・村岡由梨のブログ http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/

Declare Independence

随分長い間、国際政治に関心を持って来たけれど、自分の政治観や宗教観を作品に反映させたり、何らかの形で公にすることは、何だかとても怖いことに思えて、意識的に避けてきたように思います。

 

私という人間は、この広い世界の「日本」という小さな島国に住む、一介の、無名の表現者に過ぎません。

 

今の私が、自分の作品に政治的・宗教的なメッセージを込めたとしても、「世界」に何か影響を与えるわけでもないだろうし、それ以前に「世界」から何かを求められている立場でもない。「一介の」とか「無名の」って、そういうことなのだと思います。捻れた言い方をしてしまえば、名の知れた芸術家が、「社会性のある作品」を世の中に向けて発信するのと訳が違うのです。

 

そんな私が、新作「Transparent,the world is.〜透明な世界〜」では、自身の政治観・宗教観に大きく踏み込んでいます。

一人の表現者として美しく脱皮するために、今一度、社会における自分の立ち位置、もっと言えば、社会における自分の役割のようなものに向き合おうという気持ちになったのです。

 

これは、私にとって最初で最後の大きな賭けです。世間一般がイメージする「芸術作品の社会性・公共性」に対する挑戦でもあります。

 

「芸術家は芸術のことだけ考えていれば良い」

今までもこれからも、これが私の原点ですが、挑戦するのは私の自由。「一介の」「無名の」私が手にしている「自由」という名の特権なのだと思います。

診察室の中と外

K先生による週1回の精神分析的精神療法を約8年間続けています。

 

外界から遮断された診察室の中で、40分間、先生と1対1で話をするのです。

 

「セックスの持つアンビバレントな聖性と俗性に、自分の体と心が真っ二つに引き裂かれる セックスの聖性による産物である妊娠・出産を経験しても、未だに自分の中で答えを見つけられないこの診察室のドアを開けたら、世界はグロテスクなセックスに溢れているから、怖くて出られない。でも今この部屋に私といる先生もセックスをして子供をもうけたわけだから先生のことも不気味に感じてしまう悲しい。結局、診察室の中にも外にも、私の居場所は無いんじゃないかと思うと、絶望的な気持ち」

 

娘たちを産んで、母になって、私の問題は、もっと複雑で切実なものになりました。

 

セックスへの憎悪で胸が焼き焦げるほど苦しんだ思春期。強烈な性衝動の一方で、自分の性器をむしりとって、メチャクチャに切り刻んでしまいたくなるほどの苦しみから、未だに抜け出せないでいます。

 

答えが見つからない。

答えが見つからない。

だから、作品を作らざるを得ない。

 

こんな私が、娘たちに、「愛する人と結ばれることの素晴らしさ」を教えることが出来る日が来るんだろうか。

愛する人と結ばれた結果、生まれた娘たちに。

 

 

 

猥褻かアートか

facebookに自分のwebサイト(http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/index.html)のリンクを貼って投稿したら、削除された…。「裸を表示した」かららしい。こんなの初めて。以前、あるギャラリーで展示をしたくて、ポートフォリオを持って行ったら、「裸の作品があるから」って理由で断られたのを思い出すなあ。「裸以外の作品ならいいです」って言われた(苦笑)。なんだそりゃ。どれも苦心して作った作品なのに、「公序良俗に反する」って言われて排除されるの、納得が行かないよ…。そもそも公序良俗に反するってそんなにいけないことかな?公序良俗に反しない、品行方正な作品ばかりの世界なんて、うんざりするし、ぶっ壊したくなるけど、そういうの「教育上よろしくない」ってことになるんだろうな。ふんだ。

携帯爆発

いつか、クイーンのアルバム「イニュエンドゥ」みたいな作品が作れたらいいな。ちなみに今の私は、クイーンがアルバム「ザ・ゲーム」の制作していた時みたいな心境…。

 

昨夜は、私が仕事している横で、娘がipadで絵を描いていたので、携帯で色々音楽をかけました。クイーン、デビッド・ボウイビョーク、アデル…でもって、イエモンの「球根」で携帯が爆発寸前まで熱くなってしまって、ブツンと切れました💦。もう買い換え時かな。せっかく使い慣れてきたのに!不便だー。

脳みそ爆発

5月にポーランドへ行く前に、もっと英語を勉強したいし、アフターエフェクトも勉強したいし、アフターエフェクトとか買うために頑張って働かないと。新作の撮影も少しずつ進めたい。でも、ここ数日、何だか気持ちがふわふわして落ち着かない…。どうしたんだろ。相変わらずこわい夢ばかり見るし、目覚めた時はクタクタで疲れてしまう。現実と夢の境目が前にもまして曖昧になってる。夜が明けるのがこわくて仕方がない。自分の心臓の鼓動を聞くのがこわくて仕方がない。いつか何もかもが消えてなくなってしまうような気がして、不安で仕方がない。

 

タイトルと文章のチグハグ感がすごいな(笑)。

あはははははははははは

もっと苦しめ、私。

先日、うちの近くで開かれていた上映会に2か所行って来ました。やっぱり、映像をスクリーンで観るのは良いな。私も上映会したくなりました。

 

ここに来て、新作の制作がスピードダウンしています。制作がうまく進まないと、それだけで精神状態が悪くなる…。

 

忙しいのを言い訳にしたくない。

いつまでも旧作にぶらさがっていたくない。

 

苦しんで制作しても、結局何も報われないんじゃないかと怖くなるけれど、そもそも報われるために作ってるわけじゃないし。というのは、強がりなのかな。

 

自分でも何書いてんだかわからないけど。

作っていない私は、私じゃない。

 

家族の食卓

家族で食卓を囲んでいて、私の隣に座っている9歳の次女の顔をふと見ると、驚くほど夫の顔に似ていることに気付く。私は、夫に似ている次女のことが、かわいくて仕方がない。ああ、そうか。好きな人の子供を産むって、こういうことでもあるんだな、と腑に落ちた、ある日の夕飯の風景なのでした。