ひとりぼっちの散歩道
最近、毎晩野々歩さんと、近所を2,3kmほど散歩しているんだけど、今日は野々歩さんの体調が優れなくて、一人で歩いた。すっごくさみしかった。
いつも二人で見る、民家のささやかなイルミネーション、「きれいだね」って言う相手がいなかった。昨日野々歩さんが言っていた、「今が一番幸せなのかもしれないね」っていう言葉が、不安と共に心の奥に突き刺さったまま。
明日は、娘たちリクエストのクリスマス用アイスクリームケーキを、野々歩さんと一緒に注文しに行く予定。元気になってるといいな。
私が生まれた日 / あの日を忘れないために
ママがそんなに苦しくて死んじゃいたいなら、死んじゃってもいいんだよ。すごく悲しいけど、ママの人生はママのものだから。
4次元 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/4%E6%AC%A1%E5%85%83
4次元 - Wikipedia
私が作品制作をする上での究極の目標は、私の核「ユリ = パラドックス」を視覚化する、ということなんだけど、今のところ、「白」「黒」「立方体」などといった概念までしかたどり着いていない。次の作品ではもう一歩先に進みたくて、次元について調べているんだけど…む、難しい…けど面白い!うむむ、あたまが爆発しそう!!!
誰かと共に生きるということ
自分はダメな人間だということを否応なしに自覚させられ、パックリと開いた傷口の血の塊を、さらに、言葉 言葉 言葉でなじられ、えぐりとられる残酷さ。
互いに、これ以上追い詰められると壊れてしまうかもしれない危うさ。
共に生きるって、本当に難しい。
血
仮に、Aという主張をする人がいる一方で、Aとは相反するBという主張をする人がいたとする。両者の主張が全く相容れず、お互いに歩み寄る姿勢も見られない状況に際すると、とんでもない絶望感で息が出来なくなる。これはあくまで個人的な話だし、何事も二項対立で語れるほど単純なものではないと思うけれど、これを国際問題に発展させて考えてみた場合、実際に問題解決の最前線にいる人たちの無力感って大変なものだと思う。絶望感と無力感。でも投げ出すことは許されない。私は何に希望を見出だせば良いんだろう
透明な世界
二人の娘たちが、黄緑色の精液の草原で寝転びながら、「透明な私」の膣からのびる白黒の臍帯で、あやとりをして遊んでいる。無くしてしまった私の頭は、黒縁の眼鏡で守られ/束縛されて、日本人であることを思い出す。----黒縁の眼鏡は私の夫の象徴---